I wish you were pizza.

よく喋る子どもがふたり、先天性心疾患の末っ子は入院中です。

専業主婦について考える

面白いなと思った記事。

p-shirokuma.hatenadiary.com

わたしもこの記事にあるように「自立した女性は素晴らしい」にとらわれ、「自立していない女性は駄目である」の不寛容な価値観を捨てきれていないと思う。高学歴ではないから、なんとか喰らいついてお仕事をもらう側だけど。

専業主婦の母のもと中高を女子校で過ごし、第一線で働く父に憧れるも志望校に落ち(圧倒的努力不足)、最終形態は専業主婦で生きていこう!とゆるゆる女子大に入った。ゆるゆる女子大のゆるゆる学科ながら、共通科目でなぜかフェミニストの旋風を受け(?)、親に禁止されながらもこそこそとアルバイトを始め、女子寮のガチガチの門限と戦いながら自由な時間は親の目がないのをいいことに遊び呆けた。そのうち、働くって楽しいし自由に遊ぶ身でいたい、家族のクローズドな世界に生きる自分の母親みたいになるのは嫌だ、と就職活動を始める。女性管理職を目指します、なんて言うと面接官は待ってましたという感じで歓迎してくれて、これが正解なんだなあなんて思う。

でも今、突然妊娠して結婚して、彼には「その仕事続けられるの?もっと合ってるものあるんじゃない?」と言われて何も言えない自分がいる。記事にある「『既存の価値観で素晴らしいと言われているもの』」に合わせた人生を過ごすのはもったいない」の言葉が耳に痛い。

自分が本当にやりたいことって何だろう?今の仕事では、自分一人では触れられない世界に踏みこめるのが楽しくて、憧れる存在に少しでも近づきたい一心で頑張っている。でも挫折も多くて、そんな時に売店のおばちゃんの笑顔が沁みたりすると「やっぱり自分に向いてる接客の方が周りを幸せにできるんじゃないか」と思う。職場では活躍する女性がかっこよく見えて、妊婦さんの世界では専業主婦で子ども第一の生活を送っている人が満ち足りているように見える。

「世間や他人の価値観を内面化するあまり、自分独自の価値観や考え方が皆無に近い人というのがいる。」・・・これってわたしのことじゃなかろうか。人と会っていても自分の話をするのが苦手で、彼にも「全然自分の考えを話さないよね、これから何十年も一緒にいるんだからくだらないことでも何でも話してよ」と言われてしまう。もう手遅れかもしれないけど、たくさん本を読んでいろんな考えに触れて、文章を書いたり人に話して自分の考えを言語化して、自分の軸を見つけていきたいな。これ、学生の頃から言ってるような気がするけど。

専業主婦とひとくくりにしても、本当にいろんな人がいる。学生の頃は家で父親に意見できない母親の印象しかなかったけど、彼のお母さんは献身的で彼からリスペクトされているし、趣味の場で才能を発揮している人もいる。自分の母親だって、わたしが入院してから祖母の病院とはしごしてたくさんお見舞いに来てくれて、なんでも相談できて、すごく頼りになる存在。ひとりの人をとっても、(家族でさえも)見えている部分は一部に過ぎないなって思った。自分にとってのロールモデルはたくさんいるけど、局所局所でのお手本に過ぎなくて、その人の人生まるごとなんてわからない。もしかしたら見えないところでは何か悩みを抱えているのかも。

妊娠してからお休みをいただいて専業主婦(仮)期間になったこともあったけど、家事にすべての時間を注げて嬉しい反面、なんとも言えない無力さも感じた(入院中なんて家事もできなくて、何か少しでも社会のためになることをとForsquareのTipsを書き連ねたりした。何やってたんだろ・・・)。仕事に復帰して、身体が思い通りにいかなくて色んな人の力を借りながらでちょっと肩身が狭いものの、少しは役に立つこともあるのかなと思える。一日家にいるよりも、メリハリがつくかな。
社会人としても、主婦としても、母親としても半人前だから、それぞれでレベルアップしてみないとまだまだ分からないことがたくさんあると思う。ただ考えなしに乗り切るのではなくて、言語化を意識して自分の納得できる落としどころを見つけていけたらいいな。