I wish you were pizza.

よく喋る子どもがふたり、先天性心疾患の末っ子は入院中です。

結城真一郎『名もなき星の哀歌』

 今年の目標のひとつ、「毎月一冊は本を読む」。2月にずれ込んだけど、セーフということで・・・

名もなき星の哀歌

名もなき星の哀歌

 

新潮ミステリー大賞受賞作。 周りで何かと話題になっていたので読んでみた。

記憶を取引できる「店」を中心に、バラバラに思えるいろんな記憶シーンたちの伏線がどんどん回収されていくのが面白くて一気に読み終えた。最初はちょっとライトノベルっぽいなあと思ったけど、違和感を好奇心が越えた。

 

「店」のある設定の渋谷は、とにかく人で溢れてる。わたしも中高6年間通学路で毎日通っては、スクランブル交差点や岡本太郎の巨大絵のあるスペースなど、いろんな人がどっと流れていく様子をぼーっと眺めてた。みんな全然知らない人たちで、もしかしたら今日すれ違うだけで二度と会わない人もいるのかも、とか、それぞれの人が自分が中心の目線で世界をみてるだなんて不思議だなとか、そんな考え事をさせられる。雑多で人生が溢れてて、「店」があるのにぴったりな街だと思った。

 

「店」では記憶を売買することができる。

他の人の考えていることを覗いてみたい、好奇心みたいなものはある。その人のことを知りたいから、その人の書いたモノを読んだり、飲みに誘ってみたりする。他人の人生を疑似体験したくて、小説を読んでみる。

もしわたしの人生こうだったら・・・と妄想することはあるけど、現実とのつじつま合わせが面倒で、いっときの妄想だけを何度もなぞって現実逃避をするだけだった。それを、実際にやってみるとしたら?自分の想像では及ばない世界を見せてもらっているような気分だった。

臓器移植によって、ドナーの性格や嗜好がレシピエントに移るという話を聞いたことがある(眉唾ものだけど)。違う人の記憶が加わるだけでもちょっと気味が悪いけど、もし記憶が一部欠けてしまったら、変わってしまったら、見た目は同じでも「その人」と言えるのだろうか。記憶に手を加えるわけじゃなく、老いで変わっていってしまう人もいるよね。

 

記憶は忘れてしまうものでもある。主婦生活はこれといった成果物があるわけでもなく、やったことを自分で覚えておいてあげることが生きた証になる。今年からほぼ日に日記を書き始めて、ブログに料理の記録を残すようになった。わざわざ記録にのこすくらいの記憶を、お金を出されても売りたくはないな。大した値もつかないだろうし・・・

 

「店」のジュンさんがSUITSのハーヴィー・スペクターで再生されてた。いつもスーツだからかな。映像化されたら面白そう!