I wish you were pizza.

よく喋る子どもがふたり、先天性心疾患の末っ子は入院中です。

1月の読書記録 「生活」を考える

もう2月も終わろうとしているけれど、1月の読書ふり返り。

年末に沢村貞子さんの本を読んで、エッセイもいいな〜という調子で次に読んだのが兼高かおるさんの『わたくしが旅から学んだこと』

わたくしが旅から学んだこと (小学館文庫)

わたくしが旅から学んだこと (小学館文庫)

 

兼高かおるさんのことは亡くなってから知ったのだけど、気骨あってすてきな方だなあといつか本を読みたいと思っていた。義実家近くの本屋さんはエッジの効いた選書でちょっと有名らしく、ちっちゃい店内でどれから手をつけようかと圧倒される雰囲気。そういう場所ではついつい見知ったものを手にとっちゃう。

 

黒柳徹子さんの香蘭での先輩とのことで、枠にとらわれない自由さと気高さにたしかに近いものを感じる。

身内のことでうじうじ悩んでいるような小ささ(わたしのこと)はなく、でも視聴者に喜んでもらうという大きな目的のための細やかな気配りはたっぷりと。同じ国に滞在する間は同じ服を毎日洗濯して使い回すことで視聴者に違和感を持たせない。食べるものは我慢しても、取材先に相手にされる為に最上級のホテルに泊まる。などなど。

年輩の方ってそれぞれに長年の経験からのセオリーをもっているイメージがあるけど、広い世界があってそれがどんどん変化しているのを見ているからか、兼方さんは何においても変化が前程にあって柔軟でいいなあと思った。同じ人間でも考えが変わるものだ、というのを繰り返し書かれていたのが印象的。

 だからこそ響くこともあり。若い人がメールで使う絵文字を「象形文字」と表現するのはなるほど!と耳が痛くなった。文章で伝えるのをサボっちゃうのは退化だよね…と、これを読んでからは絵文字レスを心がけてる。

 

山崎マリさんの解説文もすごくよかった。「近ごろの海外情報番組はその国のもつ未知さや神秘性、国民性や奥行きが排除されてしまっている。リポーターのリアクションは本人の興味ではなく、映像や演出との調和感のなさから先まで見ていられない」(意訳)とのこと。たしかに、ビジュアルはいいけど…なキャスティングの旅番組は観ていてちょっとしんどい。リポーターの海外旅行経験値のなさが目についてしまったり。だからBSのNHKでよくやっているリポーターの姿がない旅番組は新鮮で、高校生のころハマった。味気ないっちゃ味気ないけれど母と色々おしゃべりしながら観るにはいい。ただ、山崎さんのいう「未知さや神秘性」までには到達できず、旅行に行って観る景色や雰囲気をなぞるに留まっていたと思う。

熟した目をもつ山崎さんも兼高さんの番組は大ファンだったらしく、リポーターだけに留まらずプロデューサー/ディレクター/ナレーター…とひとりで何役もをこなされていたからこそ生まれる一体感があったんだろうなあと想像する。旅行をするのと同じものを番組から得ることはできなくても、経験豊富な兼高さんがリサーチし尽くした情報は素人のわたしが旅行しただけではたどり着かないものばかりだったろうと思う。観てみたいな。

 

② 

感覚がそのまま文章になったような書き出しと、主人公の仕事が校正というのが面白そうだと思って買ったのが、川上未映子さんの『すべて真夜中の恋人たち』

すべて真夜中の恋人たち (講談社文庫)

すべて真夜中の恋人たち (講談社文庫)

 

 酔っ払う感覚、音楽に浸る感覚、文章を読んでるときの集中が逸れてしまったり戻したりの感覚、いろんな言葉にできない感覚がわざとらしくなく表現されているのを味わうのが新しい読書体験という感じ。

恋愛小説との触れ込みで読んでいるのにそれらしき相手が全然出てこなくて、出てきたと思えばじれったいほどことが進まないので気になって気になって読み進めちゃった。じれったいのが続き、終盤一気にたたみかける。思えば恋愛は相手の気持ちを確かめる前の時間が一番ああだこうだと考えてしまう、小説にするには面白いものだったかもしれないな(遠い記憶)。

お酒に酔っ払う場面が多数出てくるんだけど、飲まないとやってられない感じはお酒で失敗続きだった自分の人生のいっときと重なる。客観視すれば飲んでも損することの方が多い場面のはずなのに、常に酔って目線を逸らしているからそれに気付けない。アル中一歩手前だわね…

 

パンを買う行為はその場の空腹を満たすためのものだったのが、ひとり暮らしを始めて仕事帰りに値下がったパンを翌日のために買うようになってからは生活って感じのものになった。『昨夜のカレー、明日のパン』だなんて生活感丸出しのタイトルでいいな、と手にとった。タイトル買い。

昨夜のカレー、明日のパン (河出文庫)

昨夜のカレー、明日のパン (河出文庫)

 

 椎名誠さんの解説文で「木皿泉」さんが夫婦ユニットであることを知る。脚本から始まった共同のペンネームで、『野ブタ。をプロデュース』も木皿泉さんのものだった。

脚本家さんと思うと納得の、独特の世界観に違和感なく浸りこめる心地よさがあった。最初は「ギフ」が「義父」だと自分のなかで結びつかず、変な本に当たっちゃったかも〜と焦ったけど、読みすすめるうち自分なりのギフ像が出来上がっているから不思議。

オムニバスでそれぞれの登場人物にスポットライトが当てられていくのが、子育ての合間に読むのにちょうどよかった。これ誰だっけ…といちいち思い出さなくても、キャラの強い登場人物たちが心に棲み着いているから問題なし。連ドラに通じるものがあるな。

ギフの奥さん、夕子の話が一番印象に残ってる。個人的に自分の母のOL時代のお気楽な思い出話とか、義母のいう「お勤め」の響きとか、女子の職=一般職が多い時代の話はなんだか好きになれないでいた。「そういう時代」があったというだけなのに、それをいい思い出という感じで話すのが(身勝手だけど)嫌だなあと思ってしまっていた。学生時代はそんなお気楽な身分になれたらと考えて進路選択していた自分に重なるように感じていたからかも。…話は逸れてしまったけど、作中で夕子は今の自分の目線で言ってしまえば「生産性のない」働きのなかに「美しいもの」があるという。

和文タイプがワープロに変わっていったことについて、

…この方がみんな気持ちよく仕事ができるのではないか、というささやかなOLの技術は、先輩から後輩へときめ細かく伝授され続けていたが、それをいきなり誰かが、ぶった切ってしまったような感じだった。

と見切りをつけ、庭に大きな銀杏の木のある古い家とギフとの生活を潔く選びとる。

しかし、どこか可哀相だなとも思った。亡くなったお母さんが手をかけてきた家だとわかったからだ。その前はお母さんのお義母さんが、たぶん会社の先輩から自分へと伝授してもらったような習慣が、この家の中にもあったはずなのだ

 

見すぼらしい世界に、自分を合わせながら生きてゆく方が、はるかに損な気がしてきた。今、会社でチビチビと仕事をしている自分こそ、一番みすぼらしいのではないか。

時代の変化についていかなければ負けとばかり思っていたけど、変わらないものに美しさを見出す夕子に比べるとちっぽけな意地だなあとなんだか恥ずかしくなった。 

見過ごされがちだけれど「生活」を継続して積み上げていくことの難しさと尊さを見出す機会の多い最近。生活にどっぷり使った子育て中の身だからなのか、世の価値観がそちらに寄っているからなのか…

 

 

本を読むばっかりじゃなくアウトプットも常にしながら生活を整えたいって気持ちが強くなって模索していた1月終盤(そして今もつづく)。晴れて持ち歩き用キーボードを手に入れて外でも長文が打てるようになり、娘のお昼寝タイムを日記をつけるのに充てるか、読書につかうのか。読書記録をつけるようになってからは読む本が小説ばかりに偏るのじゃなく満遍なく書庫を充実させていきたいと思うようになって、持ち歩く本もちょっと根気のいるお堅めのものと息抜きの軽いものと。並行読みしていると読書疲れすることはないけど、進みが遅くてちょっとじれったい。

そんな中寄り道することなく一気読みしちゃったのがタン・フランスのNATURALLY TAN(僕は僕のままで)』

僕は僕のままで

僕は僕のままで

 

誠品書店(大好きすぎる)のボーダレス企画(だったかな…フェミニズムとかLGBTQの本が並んでた)でまっ先に「クィア・アイのタンだ!」と手に取った。ジョナサンとアントニの愛ある帯のメッセージだけで購入理由になる。

娘の子育てに精いっぱいで外出もそこまでできていない時期に、ちゃんと生活を整えておしゃれもして頑張ろう!って意欲をかき立ててくれた「クィア・アイ」シリーズ。Netflixで見つけてからほとんどのエピソードを観て、夫にも勧めて再び一緒に観た。けれど、実際のところクィア・アイのメンバーが何者なのかも知らなかったから本を読んで初めてオーディションで募られた5人組であることを知った。もう何十年もの付き合いがありそうなくらいの絆を感じるからすごい!

クィア・アイの秘話もそうだけど、無敵の5人のように思えても想像を超える挫折や葛藤の時期があったことに驚く。人種やゲイコミュニティに疎いわたしには、彼らが生まれながらにユニークで強い存在だったのかと思ってしまっていたけど、その強さや自信、弱者への優しさは乗り越えたものがあるからなんだと…言葉で片付けてしまったら簡単だけど、文章の至るところからそれを感じた。

タンがパキスタン系イギリス人3世で、家庭ではイスラムの価値観を持った家族と、外では異質な外国人として暮らすことで染み付いた「無意識に争いを避けようと」出しゃばらず、自分らしい仕草でなくその場に適した振る舞いをしてしまう癖(ジムでは男らしい男、とか)に今も苦しめられていることに驚いた。「男だから」「女だから」の縛りは子育てしていて気をつけないと無自覚に出てしまうことがある。そういう価値観は古いと分かっていても。無垢な子どもに良くも悪くも多大な影響を与えてしまう親という立場になったのだから、自分自身の価値観を先の時代に沿った確固たるものにすること、子どもにどんな関わり方をするのか考え続けること、もっともっと努力していかないと。

 

読書に燃えたつもりだったのに、1ヶ月でたったの4冊。あんなに積読を増やしたのに。じつは最後の一冊は、なんとか感想を書きたい一心で2月に入った休日の早朝に朝風呂しながら押し込んだ。笑

でも記録をつけなければ読書に燃えています!と実態の伴わない自信をつけていただけだったと思うし、感想をネット上にアップする意識があったことで今までよりは読書体験から得るものが増えたように思う。

1月終盤から並行読みで少しずつ読み進めているのが米原万里さんの『打ちのめされるようなすごい本』。今読んでいる最初の章は米原さんの読書日記が書き連ねてあって、自分もこんなふうに記録をつけられたらなあと思うお手本にしながら読んでる。ハードワークなはずなのに精力的に読書をしていて、その感想だけ読んでいても充分に面白いのがすごい。軽い調子なのに、今の自分にはスイスイ読めない重量感。まあ、感想は読み終えてから改めて。

積読はまだまだたくさんあるし、米原さんのみる世界のように到底かなわないものもたくさんある。だから途方もない気持ちになるしワクワクもする。地道に自分なりに、楽しみながら続けていけるといいな。